与那嶺要(ウォーリー与那嶺)

2011 年 9 月 22 日 木曜日 投稿者:mituoka

 アメリカ合衆国ハワイ州 ・ ホノルル国際空港内の一角

 大きなガラスケースの中

 日本人に馴染みの「巨人」と「西武」のユニフォームが私の目にとまった

 それはハワイ出身アメリカ人・与那嶺要(アメリカ名・ウォーリー与那嶺)の

 足跡を称えた陳列物の一部だった

 私にとっての彼は野球人

 「中日ドラゴンズの監督」というイメージが強い

 読売巨人軍の名プレーヤーだったことも知っている

 しかし、ガラスケースの中の紹介文において彼は

 Hawaii’s Two Sport  Supersutar
 (ハワイの、ふたつのスポーツにまたがるスーパースター)

 と紹介されている

 疑問と興味を持って、読み進めていくと・・・・

 来日前の与那嶺 要(よなみね かなめ)氏は、

 アメリカ本土でも有名なアメリカンフットボール選手だったらしい

 アメフト音痴の私でも知ってる サンフランシスコ49er’s に所属していた、

 というから相当なものだ

 学生時代にはオールスターチームのメンバーにも選出されているそうだ

 怪我によりアメフト引退を余儀なくされた後、日本プロ野球界に乗り込み、

 (ここから先の知識は、私も持っている)

 読売巨人軍の主軸として首位打者3回・MVP1回を獲得

 沢村・川上・青田らと並ぶ伝説的な選手だ

 現役引退後は、監督として中日ドラゴンズを優勝に導く

 古巣・巨人の10連覇を阻んだ

 (このあたりからの事実は、野球少年だった私に鮮明な記憶が残っている)

 そして南海・巨人・西武・日ハムのコーチを歴任し、

 1988年にハワイに戻る

 今年の2月、与那嶺氏は母国で他界

 「外国人選手」として日本野球界の殿堂入りを果たしているのは、

 彼ただ一人である

 アメリカ仕込みの攻撃的なスライディングと、セーフティ・バントを

 日本に持ち込んだ功績は大きい

 彼が日本に来なかったら、日本野球の進化は数十年遅れていたことだろう

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